手を打てば
「はい」と答える
鳥逃げる
鯉はあつまる猿沢の池
私が修学旅行の添乗で奈良の薬師寺に行くたびに
山田法胤さん(現薬師寺副住職)がお話されていた喩え話です
母校である根尾の小学生の皆さんに
わかりやすく笑顔いっぱいでお話されていた光景を
今でもしっかりと思い出せます
私なりの解釈も交えますが、
猿沢の池のまわりには旅館が囲むようにあります
旅館のお客さんが、仲居さんを手を打って呼びます
すると仲居さんは手を打つその音にお客様が呼んでいると察し「はい」と答えます
池のまわりの木立に佇む鳥たちは、鉄砲の音だとびっくりして逃げてます
池に住む鯉は、エサをくれると思い集まってきます
実はこの詩、仲居さん・鳥・鯉の三者に喩えた人間の心のありようを表現しています
お客さんの手を叩く音は、誰の耳にも同じ音として聞こえます
これはただの状況(現象)に過ぎません
でも三者のとる行動がまったく違います
それは、三者の心のあり様の違いからです
喩え話を現実の具体例に置き換えると
たとえば、ある人が自分に対し行った行動や言葉が期待はずれだった時
それは自分にとってどんな意味があるのだろうか?
と冷静に思考できるかどうかを問うてます
ある人が発した言葉や行動とは、喩え話のお客さんの手を叩く音です
それ自体何の意味もありません
ただの状況(現象)です
違うのは自分の受けとめる心です
仲居さんなのか、鳥なのか、鯉なのか?
選ぶのは自分自身の心です
受けとめる心とは、状況を解釈する思考パターンのことです
「なんでアイツから・・・」と相手に原因を求め相手を責めるか
それとも
自分を成長させてくれる出来事としてありがたく感じれるか
その思考の違いは将来大きな違いになります
前者のように他に原因を求めると
腹が立ち憎しみがわき満たされない心は、更に大きな不足を呼び寄せます
状況は自分にとって更に悪くなり体調まで崩れます
それに比べ後者を選んだ人は
自分に原因があると考え反省と改善を重ねます
自分を責めるのではなく自分を変えるチャンスと考えます
すると気分が楽になり希望がでてきて楽しく明るくなります
楽しく明るい表情や心持ちは自分にとってよいことをどんどんと引き寄せます
「そんなうまいこといくか!」と思っているあなたに聞きます
あなたの心は今どちらを選択しようとしていますか?