六波羅蜜寺(京都市東山区)、撮影禁止なのでパンフレットを転写。
境内は現在、石畳を工事中でした。
六波羅蜜寺の仏像
十一面観音立像(国宝:秘仏)
以下重文
薬師如来坐像、地蔵菩薩立像、多聞・広目・持国・増長の四天王の立像、地蔵菩薩立像、吉祥天立像、
閻魔大王像、弘法大師坐像、空也上人立像、平清盛坐像、運慶坐像、湛慶坐像
六波羅蜜寺は、奈良のお寺を彷彿させる仏像の数です。特に仏像の目がリアル。
変わっているのは、やはり空也上人立像で口から六体の阿弥陀如来が出ています。
南・無・阿・弥・陀・仏の六文字を6体の阿弥陀仏で表現している。
空也上人は、平安中期の高僧、左手には鹿の角のついた杖を持ち、布教のために履きこんだ草履、このようないでたちで都を布教された。布教だけでなく、橋を架けたり井戸を掘るなど「市聖」と呼ばれ民衆から慕われた。死後250年ほど経ってから運慶の4男康勝が制作。
京都を案内する学生ガイドがよく案内するのが、次のお話です。
ある夜、店じまいした飴屋の雨戸をたたく音がするので主人が出てみると、青白い顔をして髪をボサボサに乱した若い女が「飴を下さい」と一文銭を差し出した。主人は怪しんだが、女がいかにも悲しそうな小声で頼むので飴を売った。 翌晩、また女がやってきて「飴を下さい」と一文銭を差し出す。主人はまた飴を売るが、女は「どこに住んでいるのか」という主人の問いには答えず消えた。その翌晩も翌々晩も同じように女は飴を買いに来たが、とうとう7日目の晩に「もうお金がないので、これで飴を売ってほしい」と女物の羽織を差し出した。主人は女を気の毒に思ったので、羽織と引き換えに飴を渡した。 翌日、女が置いていった羽織を店先に干しておくと、通りがかりのお大尽が店に入ってきて「この羽織は先日亡くなった自分の娘の棺桶に入れたものだが、どこで手に入れたのか」と聞くので、主人は女が飴を買いにきたいきさつを話した。お大尽は大いに驚いて娘を葬った墓地へ行くと、新しい土饅頭の中から赤ん坊の泣き声が聞こえた。掘り起こしてみると娘の亡骸が生まれたばかりの赤ん坊を抱いており、娘の手に持たせた三途の川渡し代の六文銭は無くなっていて、赤ん坊は主人が売った飴を食べていた。 お大尽は、「娘は墓の中で生まれた子を育てるために幽霊となったのだろう」と「この子はお前のかわりに必ず立派に育てる」と話しかけると、娘の亡骸は頷くように頭をがっくりと落とした。この子供は後に菩提寺に引き取られて高徳の名僧になったという。