四季の広場から、水門川沿いを北に行くと、大垣市役所や興文小学校や円通寺があります。
この水門川は、大垣城の外堀でした。
下図のように大垣城は、三重四重のお堀がありましたが、今では多くが埋められ、一部が水門川として残り、街の空間を和ませてくれてます。
四季の広場は、地図左下の全昌寺の上、お堀が交わっているあたり
正面(東)からみた大垣市役所、西側に水門川が南北に流れている
1635年、戸田 氏鉄(とだ うじかね)公が入城されてから学問を奨励されたことにより、
1838年、藩校としてスタートした伝統ある小学校です
http://www.ogaki-city.ed.jp/kousyo/dento/index.html
円通寺山門は、寛永12年(1635)大垣初代藩主戸田氏鉄(うじかね)公が尼崎から大垣へ国替になった際、同時に菩提寺である本寺の伽藍を移し、現在地に建立したものである。
以来、雷火のため数回焼失したが、大垣藩十万石歴代藩主の菩提寺の山門にふさわしい豪壮ば姿を今に伝えている。
(大垣市教育委員会より)