標高353mの古城山に築かれた竹田城は、

山名宗全の配下の太田垣氏による築城とされ、

石垣は無く土の城だったと考えられている。

現在の石垣は、秀吉配下となった元播磨龍野城主、赤松広秀によって築かれた。

近江の穴太衆による石垣と同技術の野面積みで、

そのコーナー部の反りには算木積みが大成する前の過渡期の積み方が見られる。

関ヶ原の戦いの後に、赤松広秀の死とともに廃城となり、

石垣は400年を経て一部修復され現在の姿となっている。

 

 

takedajyou7

 

最高地、天守台からの景色

 

 

takedajyou4

山城の郷付近からの遠望

Follow me!