2013年8月8日 最終更新日時 : 2019年7月20日 okcom 標高353mの古城山に築かれた竹田城は、 山名宗全の配下の太田垣氏による築城とされ、 石垣は無く土の城だったと考えられている。 現在の石垣は、秀吉配下となった元播磨龍野城主、赤松広秀によって築かれた。 近江の穴太衆による石垣と同技術の野面積みで、 そのコーナー部の反りには算木積みが大成する前の過渡期の積み方が見られる。 関ヶ原の戦いの後に、赤松広秀の死とともに廃城となり、 石垣は400年を経て一部修復され現在の姿となっている。 最高地、天守台からの景色 山城の郷付近からの遠望 Follow me! FacebooktwitterHatenaPocketCopy