鞍馬寺を見学して思ったことは、木がいっぱいで空気がおいしいということです。それだけで、気分の良いことですし元気になった気になれます。天狗という得体のわからないモノが潜んでいるかもしれませんが、面白半分のふざけた気持ちでなければ、大丈夫だと思います。霊山とは違い、少し寛容なのかもしれません。
最近のパワースポットブームに乗る多くの入山者は、鞍馬にみなぎる宇宙エネルギーをもらって元気になろうとか、願い事を叶えようとか、何かしらのご利益を期待してこの山を訪れているようです。それも楽しめばよいと思います。私のように並ぶのが好きでない者にとっては、「並んでまでならいいわ」と思い引いてしまいます。お山全体が宇宙エネルギーでみなぎっているのですから、別に並ばなくても良いと思ってしまいます。
鞍馬寺は、この宇宙エネルギーを「尊天」と称して、感謝崇拝する道場です。言葉にこだわると変な誤解をする人もいるかもしれませんが、平たく言えば、「生かされていることに感謝をする」ということです。日本人は「おかげさま」という謙虚な気持ちを口にすることのできる民族です。この「おかげさま」こそ、宇宙エネルギーだと思えば良いのではないでしょうか。私たち人間は自分ひとりでは絶対に生きていけない存在です。尊天と称したすべてのものがあるからこそ、生きるための環境が保たれています。同時に尊天と称するものが一人一人の体内にも分け与えられています。尊天はすべてのものですから、物質のように目に見えるものもあれば、空気・音・磁気のように目に見えないものもあります。私たちの思いもすべて尊天に含まれます。宇宙の始まりはビッグバンだったわけで、それ以前は物質はなく、一つの思いしかなかったのです。思いが磁気をおび、次第に物質化されたのが、今の宇宙の姿です。そう思うと、思いを持った私たちこそが創造の一役を担っていることに、考えを飛躍しても良いのではないでしょうか。私たち人間は、生かされていることに感謝しつつ、創造する役割があることに責任を持つという生き方をしなければならないということを、この鞍馬はメッセージとして投げかけているような気がしました。