「人生は知るためにある」と思えるようになったのは、

数多くの失敗からでしたが、

でも、それだけではありませんでした。

旅行の仕事は、自分の心が鮮明に結果に現れます。

 

経験不足、未熟さゆえの失敗は、誰にでもあることですが、

失敗が続けば、それは自分の心のあり方に問題があります。

私はそのことになかなか気づけませんでした。

 

 

自分の心の中に潜む「エゴ」

「我良しの心」です。

 

「我良しの心」をコントロールできないかぎり、

失敗は次から次へと形を変えて起こります。

 

「人生は知るためにある」の本来の意味は、

「知識の豊富」をめざすだけでなく、

「我良しの心をコントロールする技量」を養うことだと思います。

 

「我良しの心」は、何かと他人と自分を比較します。

「我良しの心」は、悪い結果を他者に原因があると思い込みます。

「我良しの心」は、他人に迷惑をかけても自分の個性だと勘違いします。

「我良しの心」は、結果に囚われ自分を見失います。

「我良しの心」は、欲求をコントロールできません。

「我良しの心」は、無知であること未熟であることに気づけません。

「我良しの心」は、不平不満がたまり、冷静さを欠き、正しい判断ができません。

 

人も動物も失敗をすれば、学習して、同じ失敗はしなくなります。

 

しかし、いろんな問題ごとが次から次へと起こったり、

いろんな種類の失敗をしたり、

苦しいことが多かったりして、幸せな気持ちになれないでいるならば、

その原因は、「我良しの心」をコントロールできていないからです。

「我良しの心」は、人間特有の心です。

 

「人生は知るためにある」とは、

「我良しの心をコントロールする方法を知って、楽しく明るく生きる」

ということだと思います。

 

では、「旅」はどうでしょうか?

「人生」がなぜ「旅」に喩えられるか?

それは、あの世からの視点で「人生」をみれば、

「人生」は「旅」に良く似た性質を持っているからです。

私たちの魂のふるさとは、本来、あの世にあって、

人生という刺激のある旅路を求めて、この世に生をうけ、

精一杯、スリルを味わい、

そして、魂のふるさとであるあの世へと帰る。

 

人はなぜ「旅」をしたいのか?

旅には、日常では味わえない刺激があるからです。

そして、より旅を楽しむためには、知識も必要ですが、

心をみつめ心をコントロールすることが大事です。

 

だから

「人生は知るためにある」

「旅も知るためにある」

なのです。

 

極端に例えれば、

旅で不都合なハプニングがあったとしても、

楽しむ気持ちを持とうとする人は、

人生を楽しむことのできる人です。

 

kitanochouhiroba

北野町広場(神戸市)の大道芸人

綱渡りの曲芸

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