NHK大河ドラマ「真田丸」では、信繁は大谷吉継の娘を正室へ迎えたところまで来ています。
吉継は、関ヶ原の合戦では、西軍として、捨て身の戦いをしました。
最後まで義を尽くした武将として、敦賀市民にも愛されています。
敦賀の城下町の面影を残す「紙わらべ資料館」周辺
ドラマの中の秀吉は、寝小便など痴呆の症状になり、今までのドラマにないストーリーになっていて、なるほど、そうだったのかもしれないと思えてきます。
これから、ドラマは、秀吉の死、関ヶ原合戦、昌幸・信繁親子の九度山での幽閉生活へと移っていきます。
ドラマと真実の歴史は違っていることが多いと思いますが、言えることは、郷土の歴史を知ろうとすることで、郷土愛が生まれるということだと思います。
敦賀、九度山も関ヶ原では、敗戦側に縁のある地域です。
しかし、地域に愛された武将だったことは間違いありません。
何百年も経てば、勝った負けたなどで人物は評価されないということです。
愛される何かがその武将にあるということなんですね。
大阪冬の陣夏の陣において、信繁は幽閉地である九度山からどのように出陣ができたのか?
これは、住民の協力がなければ、絶対にできないことであり、それだけ真田氏が地域住民に溶け込み愛されていたとが想像できます。