東アジアの三大旅行記というものがあります。
年代別に並べると
先ずは、唐の高僧、玄奘(げんじょう)三蔵の「大唐西域記」。
玄奘(三蔵法師)が経典を求めてインドへ旅したときの見聞(629~645年)を弟子の弁機が記したものです。
次に日本人の僧侶・円仁(えんにん)が書いた「入唐求法巡礼行記」
(にっとうぐほうじゅんれいこうき)。
平安時代の僧侶・円仁(慈覚大師・最澄を師事・天台宗比叡山延暦寺第3世座主)が838年に博多を発ち、唐の都、長安などを経て、
847年に帰国するまでの約10年間の日記なのですが、唐での生活での体験が詳しく記されています。
最後はヴェネチアの商人マルコ・ポーロの行った東方旅行(1270~1295年)の体験を物語作家のルスティケロが記した旅行記「東方見聞録」です。
日本を「黄金の国ジパング」としてヨーロッパに紹介されました。
さて、この中でどういうわけか、円仁(慈覚大師)の入唐求法巡礼行記は
日本において有名ではありません。
なぜでしょうか。
その理由が、円仁が記した克明な日記の内容が国際的に高く評価されたにもかかわらず、日本で有名になってほしくない例の事情があったからです。
そのことが人気ブログ「ねずさんのひとりごと」で分かりやすく記されています。
ねずさんのひとりごと
http://nezu3344.com/blog-entry-2568.html
日本は天皇を最高権威とし、国民を天皇の大御宝(おほみたから)として大事にする「シラス国」です。
まじめに生きた者が報われるという最高の民主主義社会を日本は、
天皇を中心に確立してきたのです。
ところで、帰国後の円仁(慈覚大師)は、関東から東北を中心に全国で約700もの寺院の創建や再興に関わってみえます。
その有名どころは次の寺院です。
関東では、
目黒不動として知られる瀧泉寺
浅草の浅草寺
埼玉の慈恩寺
日光の輪王寺
東北では、
中尊寺、毛越寺、立石寺(山寺)、瑞巌寺、円通寺(恐山)
帰国後の円仁(慈覚大師)は、都に向かう際に湯村温泉を開湯したとされています。
(山陰湯村温泉の慈覚大師像・・・このお堂の前に荒湯(源泉)があります)
偉いお坊さんは良く温泉を発見されます(空海しかり)。
神通力なのでしょうか。
そして、湯村温泉について過去の記事がありましたので、
次のとおり載せさせていただきました。
利他の精神が温泉街に生きる
兵庫県 湯村温泉 夢千代の像
母が広島で被爆したとき、胎内にいた夢千代さん、
母の残した芸者置屋を女で一つで切り盛りしますが、
被爆二世のため白血病で余命3年と宣告されます。
この小さな温泉町にも、それぞれの人間模様があり、
夢千代さんは、人の痛みを自分の痛みのようにして、
親切にしていきます。
この夢千代像の台座は、
被爆した旧広島市庁舎の敷石です。
この台座には「祈恒久平和」と記され、浄財箱もあります。
毎年の原爆の日には、浄財が広島市に贈られています。
夢千代で結ばれた湯村温泉と広島市とのご縁。
それにしても、
この夢千代日記を書いた人、
ドラマや映画にする人、
地元で受け入れた人と、
すべてがよい形になった例ではないでしょうか。
その中でもとりわけこの温泉街にドラマを誘致した人が、
立役者ですごい人だと思います。
ドラマや映画が大ヒットし、温泉街を潤わせ、多くの人の平和の意識を高める。
自分だけの利益を考える利己主義ではなく、
みんなの利益を考える利他の精神があったからこそ、
30年たった今でも「夢千代の里」として親しまれているのだと思います。

山陰湯村温泉の荒湯の前にある手形散歩道
武田鉄矢の手形には、
「人は悲しみが多いほど人には優しく出来る」と
書いてあります。
悲しみを前向きに受け止められる
心にしみる言葉です。