
昭和20(一九四五)年8月18日未明、
千島列島最東端の日本領・占守島(しむしゅとう・ロシア名 シュムシュトウ・わずか10㎞の海峡を挟んでソ連領のカムチャツカ半島)に 八千数百名、艦艇五十四隻 のソ連の大軍が突如襲ってきました。
日ソ中立条約締結中にもかかわらずの違法行為です。
実は占守島には、日魯漁業(現在はニチロ・ブランド名あけぼの)の缶詰工場があり、二千五百名の民間人がそこで働いていました。
戦時中、莫大な量の糧食を日本は外地に補給していました。
なかでもこの占守島で生産される魚類の缶詰は、貴重なタンパク源として、外地で戦う日本の軍人にとってなくてはならないものでした。
そしてその工場の従業員の中には、約四百名の若い女子工員が含まれていたのです。
「このままでは、
女子工員たちは必ずソ連軍に陵辱される。
なんとしてもあの娘たちを
北海道へ送り返さなければならない」
日本軍は、わずか六百名で応戦することになりました。
武装解除中であった日本軍は、一般人を守るためやむなく応戦することになったのです。
これは「占守島の戦い」と言って、本来なら教科書で習うべき重要な出来事なのですが、一切私たちは習うことはありません。
もし日本が応戦していなければ、北海道は今の北方四島と同じように間違いなく占領されていました。
人気ブログ「ねずさんのひとりごと」には、緊迫した数日間の様子が書かれています。
平和ボケの私たちには、国を失うという危機感を実感できません。
相手は道徳心のある日本人ではないのです。
今の日本国憲法は無法者から国民を守る法律ではありません。
多くの日本人が反日勢力に世論誘導されていると気づいてきてます。
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