揖斐川町三輪にある三輪神社は、神武天皇の御世、諏訪大社のご祭神、武御名方富命(タケミナカタトミ・大国主命の御子)が当地に三輪明神を祀られたと伝えられます。
三輪神社のご本社は、奈良県桜井市に鎮座する大神神社(おおみわじんじゃ)です。
ご祭神は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)です。
三輪神社の祭礼「揖斐まつり」(五月4日5日)では子供歌舞伎も奉納されます。
(以下、人気ブログ「伊勢白山道」さんの記事内容を参考にしていますが、近い内容は古事記・日本書紀にも記述があります。)
さて、奈良の大神神社では、崇神天皇(すじんてんのう・3世紀頃)の時代に、近畿地方に不作による飢饉、疫病が流行しました。
その時に天皇の夢に三輪明神(大物主神)が現れて、
・疫病や不作は、三輪明神を祭らない不敬により自分がしたこと。
・助かりたいならば、自分を三輪山に祭ること。
・祭る時は、自分の血を引く子供がいるから、その子を探し出して祭主にすること。
天皇は熱病でうなされながら、このような夢を毎晩見るようになります。
さらに、これと同じ内容の夢を皇女であり巫女である倭迹迹日百襲姫命(やまととと・ひももそひめのみこと)や、他の神官も見ることになります。
ちなみに倭迹迹日百襲姫命とは、後に三輪明神(大蛇)の奥さんとして捧げられた皇女であり、外国からは女王ヒミコと呼ばれた伝説の凄い皇女です。
そこで、崇神天皇は役人に三輪明神の子供を探させます。
すると、今の大阪府八尾市から堺市に掛けての田園地帯に、世の中のことを聞けば何でも知っているという不思議な人物が住んでいるという噂が宮中に入ります。
さっそく役人が派遣されて行きますと、田んぼを作った側に小屋を建て、真っ白いゆで卵のような白い顔に太い首をして、女物の着物を着た人物がいました。
役人がその人に、「ここで何をしているのか?」と聞きますと、その白い顔をした人は、
「新しい種類の稲を開発中なのよ~」と明るい声で答えます。
名前は、大田田根子(おおた た ねこ)と名乗りました。
大田田根子を祭主に迎えたのちは、近畿地方に飢饉・疫病がなくなりました。
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