岐阜県大垣市には東海地区最大級の「昼飯大塚古墳」があります。
昼飯大塚古墳の規模は、長さ150m(周壕を含めると長さ180m)、後円は高さ13m、前方部高さ9.5mです。
後円部からは埋蔵施設や祭事に使われたとされる様々な形をした埴輪や勾玉や土器が発掘調査で出土しています。
さて、古墳が多く造られたのは、3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間とされています。
そして、古墳がなぜ造られたかを、私たち戦後教育をうけたものはこう教わりました。
「古墳は王や豪族の墓であり、権力にふるって民衆につくらせた」と。
本当にそうでしょうか。
古墳は権力誇示の象徴になっています。
ところがそれはまったく以って本末転倒だと
人気ブログ「ねずさんのひとりごと」では説明しています。
http://nezu3344.com/blog-entry-2697.html
私もその説に大賛成です。
古墳を造るために盛り土したのではなく、水田を造るために必然と盛り土が出来たのです。
ですから、古墳が多く点在するところは、平野部ではなく、丘陵地帯や山際なのです。
もともと沼地のような平野部は凹凸は少なく、水田を造るのに残土はでません。
それに比べ、斜面の多い土地を水平にするためには、多くの残土が出ます。
古墳は民衆を強制労働させて造らせたのではなく、自らの糧ともなる水田を嬉々として造り、その副産物として盛り土が出来たのです。
大きな盛り土には、盛り土が崩れてもいいように堀で囲みました。
盛り土をその土地の豪族のお墓にしたのは、盛り土を有効利用ではないでしょうか。
余談ですが、
戦後の日本人の思想は、マスメディアや教育により対立させる思想へと誘導されたのだと思います。
加害者vs被害者、お買い得vs買い損、右翼vs左翼、勝ち組vs敗け組、経営者側vs労働者側、いじめる側(S)vsいじめられる側(M)、日本vs〇国 など。
あなたはどちら側ですか?
と何かと比べるように教育も番組づくりも持っていきます。
すると、悪しき競争(足の引っ張り合い)を生み、悪しき対立が生まれます。
家族、学校、会社、地域、政治、国家間で悪しき競争や対立が生まれます。
これが戦後の精神が病む日本人が多くなったメカニズムだと思います。
聖徳太子は十七条憲法の第一文に、
「一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。」
を選びました。
「忤ふる」とは「恨みあう」という意味です。
戦後の日本人は、本来の日本精神を取り戻せるのでしょうか。
話は戻しますが、
古墳時代も、天皇を中心とする大和政権は水田造りを推奨してきたのです。
各地に勅使を送り農地開拓を指導したのではないでしょうか。
以下、百舌鳥(もず)古墳群と古市古墳群の過去の記事です。
この記事を書いたころは、「ねずさんのひとりごと」に出会っていませんでした。
ですから、仁徳天皇陵はあくまでも墳墓を目的に造ったとなっています。
古墳造営には土師氏が指導していたようです。
前方後円墳という独特の形にも意味があるようです。
まだまだ謎だらけの日本ですね。
以前、百舌鳥(もず)古墳群と古市古墳群を飛行機の車窓から見て、びっくりしたことを覚えています。
GHQのマッカーサー元帥も巨大さと前方後円という独特の形を見て大いに驚き、発掘調査をいたそうです。
日本には私たちの知らされていない、とんでもない秘密があるのだと思います。
これらの古墳は、土師氏(はじし・はじうじ)によって造られました。
百舌鳥古墳群(写真右上部の古墳は、面積において世界最大の仁徳天皇陵)
土師氏の祖である野見宿祢は第11代天皇の垂仁天皇から皇后の古墳造営を任されることになりました。
垂仁天皇はこれまでの習わしであった古墳に生きた人を埋める(殉死)を禁止しました。
そこで野見宿祢は故郷の出雲から土部100人を呼び寄せ、人や馬など、いろんな形をした埴輪を造らせ、それらを生きた人のかわりに埋めることを天皇に奏上し、天皇はこれを喜び、その功績を称え、「土師」の姓を野見宿祢に与えたそうです。
古市古墳群のあたりは、土師氏の本拠地でした。土師氏の氏寺である道明寺があります。
道明寺はかつて土師寺と呼ばれていました。菅原道真は大宰府に左遷されるとき、叔母の覚寿尼に会うためにこの土師寺に立ち寄りました。
そして道真の死後、道真の号である「道明」をとって、土師寺から道明寺と改められました。
土師氏の子孫は姓を変え、大江氏、菅原氏、秋篠氏へと引き継がれました。菅原道真は土師氏の子孫になります。
ところでこの古墳群は現在、世界遺産の暫定リストとなっています。
天皇家のお墓が世界遺産となってしまうことは、正直、好ましくないことです。
天皇家のお墓が世界の観光客の物見遊山的な見物対象にされてしまうことは、不敬な行為ではないでしょうか。
伊勢神宮が世界遺産の勧めを「遺産ではない」と断ったことと理由は同じです。
古市古墳群
道明寺
(かつては東隣の天満宮にありましたが、神仏分離により現天満宮境内から移転されました)
道明寺天満宮
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