大垣の春日神社は「春日の宮湧き出ずる名水」の碑があるとおり、おいしいお水が楽しめる神社です。
主祭神は春日大神(武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神)です。
武甕槌命(日本書紀での名称・古事記では武御雷神・タケミカヅチ)は、天照大神の使者として経津主命ともに大国主命に国譲りをせまる役を果たした神です。
出雲の伊耶佐小浜(いざさのおはま)に降り立ったタケミカヅチは、十掬の剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに突き立てて、なんとその切っ先の上に胡坐(あぐら)をかいて、大国主神に対して国譲りの談判をおこないました。
大国主神は、国を天津神に譲るか否かを子らに託しました。子のひとり事代主神(コトシロヌシ)は、すんなり服従しましたが、もう一人、建御名方神(タケミナカタ)は、タケミカヅチに力比べをもちかけるも、手づかみの試合で手をつららや剣に変身させ、ひるんだ建御名方神はその隙に一捻りにされたため、恐れをなして逃げ、科野国の洲羽の湖(諏訪湖)で降伏し、これによって国譲りが成しえました。
(大垣市今町の春日神社・水の有難さを感じます)
さて、いきなりですが、根本的な疑問として、神社を見て、
「神社は宗教施設だ。祭礼は宗教行事だ。」という人がいます。
こう言う人たちは、「自分の尊厳、人の尊厳を否定しているのですか?」と聞きたくなります。
今の自分がこうして生きていることは、何の疑いものない事実です。
自分には両親がいて、父母それぞれにも両親がいます。
何世代もさかのぼると、いったいどれだけの両親がいることになるのか?
単純計算で一世代平均25年として、古事記が編纂された約1300年前は、
1300年÷25年=52世代 2の52乗はなななんと4503兆5996億2737万0496人
計算サイト
https://keisan.casio.jp/exec/user/1325256498
この命のリレーをどう説明するのでしょうか?
自分がいること自体が奇跡です。
自然のすべてに神々が宿っていると信じてきた日本人の信仰(心の拠りどころ)が神社です。
日本人は自然や土地と共生しながら幾世代も命を繋げてきました。
医学が発達する現代以前は、一人の子が成人まで育つことは稀でした。
高い割合で子どもは小さいうちに亡くなりました。
ですから一人の母親が5人や10人の出産は普通でしたし、出産し亡くなる母親も多かったのです。
地震が起きること、日照りが起きること、疫病が蔓延することは人々の命と直結することであり最も恐れました。
ですから、平穏な生活も五穀豊穣も自然や土地に宿る神々の神恩として感謝をしてきたのです。
「災害は忘れたことにやってくる」ということわざのとおり、不思議と神恩感謝を忘れたころに災難はやってくるのです。
人々は土地に氏神を祀り、子が生まれれば産土神に感謝をしました。
月に一度は町内全員が氏神様のもとに集まり食事をしました。
氏神様はいつも掃除が行き届いていました。
神と共に生きる「カンナガラ」の生活は、地域の人々にとってあたりまえだったのです。
それが戦後の教育のせいで、神社は「宗教」という括りに同一化されてしまいます。
不敬極まりない事態が今です。
戦後教育がいかに自分否定(先祖否定)であり、日本古来の精神を破壊するものなのかを私たち戦後教育を受けたものは自覚すべきではないでしょうか。
(以下は過去の春日神社の記事です)
大垣宿の三輪酒造さんから、入り組んだ路地を南へ進むと、春日神社(大垣市今町)があります。
奈良の春日大社の春日大神が勧請されています。
参道は長く、両脇には桜が植えられ、並木になっており、社殿は重厚で見事な彫刻が施されています。
氏子さんや町内の方によって、境内はいつも綺麗です。
「湧き出ずる名水」では、水を汲まれる人々で賑わっています。
社殿の右横に雄雌の鹿の像が奉納されてます
朱塗りの社殿
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