岐阜県大垣市青墓町には円興寺という美濃屈指の古刹があります。
円興寺は延暦9年(790年)に最澄が大谷の里(現在の青墓)の大炊(おおい)氏の帰依を得て山頂に寺を創建し聖観音霊像を本尊として円興寺と号したのが始まりです。
隆盛時には七間四面の荘厳な伽藍があり、末寺等百余ヵ寺、寺領5千俵と伝えられているそうです。
天正2年(1574年)織田信長に焼かれ、田之堂を経て万治元年(1658年)現在地に移ったそうです。
本尊である木造聖観音立像(国指定重要文化財)は、最澄が自ら造像したと伝えられています。
案内板には更にこう記されています。
「像身は檜材の一木彫で、等身像を上回る彫刻的な大きさがあり、実物大以上の量感と高度な緊張感にあふれ、彩色の面影が残る。また、東部の形成、幅広い天冠台、翻波(ほんば)式の衣文(えもん)は平安時代の弘仁(こうにん)・貞観(じょうかん)期の特色があり、その表現は穏やかで肉付けも控え目である。」(大垣市き教育委員会)
ただし、一般公開されていません。
最澄が日本で起こした天台宗は、 浄土宗 ・ 浄土真宗 ・ 臨済宗 ・ 曹洞宗 ・ 日蓮宗 という、現代の仏教界を代表する宗派の初代の大教祖達を生み出しています。
最澄の基本には、全ての存在には「仏性が宿る」という天台の 本覚思想 があります。
最澄は仏性が満ちるようにとこの聖観音像をつくったのでしょうか?
以下、過去の記事です。
「観音様って何?」という題で書きました。
法華経の神髄的思想に「観音経」があります。
現在の精神世界の基本理念を作ったとされるドイツの哲学者ヘーゲル(1770~1831)よりも2千年以上も昔、お釈迦様は観音経の理念を説いていたし、最澄の時代に日本の仏教界において学問として確立していたのです。
おそるべし釈尊、
そしてその教えを取り入れた日本もおそるべしです。
観音経は、法華経のこころだと松原泰道先生は「観音経入門」で書いています。
法華経28品(章)の第25品目が、「観音経」です。
そもそも、観音さん(観世音菩薩)とは何者なのでしょうか?
自分なりの解釈が入っていますが、
観音さんは、自分を苦しみから救ってくれる慈悲深い変幻自在の菩薩だと思います。
ひとたび、観音様に救いを求めればいつでもどこでも自分の心に観音さんが宿ります。
観音様は自分、自分は観音様になる瞬間です。
そして、自分の中にいる観音様は、慈悲をもって最も自分にとって救われる道へ導いてくださる。
人を介し自然を介し、ある時は仏となり神となり、ある時は鬼や悪魔となって救われる道に導いてくださる。
そんなありがたい存在です。
心に慈悲の心を持った観音様がいてくれれば、何の不安もありません。
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