上賀茂神社は京都で最も古い社といわれ、その起源は遥か2600年以上前に遡ります。
(賀茂神話)
太古の昔、京都に移り住んだ賀茂一族の姫・賀茂玉依比売命が川で身を清めていると、上流より丹塗矢(にぬりのや)が流れてきました。
その矢を持ち帰り床に祀り休まれたところ、御神霊の力を享け御子を授かります。
御子が元服したとき、祖父である一族の長、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が多くの神々を招き祝宴を催し、その席で「汝の父と思う神に盃を捧げよ」と申され、盃を渡したところ、御子は「わが父は天津神なり」と答えられ、雷鳴と共に、そのまま天に昇られたと記されており、再び会いたいと乞い願っていた賀茂玉依比売命の夢枕にある夜、御子が顕われ「吾れに逢はんとには、馬に鈴を掛けて走らせ、葵楓の蘰を造り、厳しく飾りて吾れを待たば来む」との神託があり、その言葉に従い神迎の祭をしたところ天より神として御降臨されたと伝わりました。
この御子神が賀茂別雷大神(かもわけみかづちのおおかみ)です。
賀茂氏は神武東征を助けた八咫烏です。
この神話にあるように、御子(賀茂別雷大神)が「わが父は天津神なり」と答えられていますところから、神武東征の助けをされたことが繋がります。
特別参拝をさせていただきました。
ご神職から賀茂神話のお話を聞き、本殿と権殿(二殿は国宝)の拝観をさせていただきました。
社殿の北北西約2㎞に秀峰「神山」(こうやま)があります。
お椀をかぶせたような形の良いお山です。
神山は賀茂別雷大神が降臨された山であり上賀茂神社のご神体です。
天武天皇の御代に現在地に社殿が造営されました。
上の写真の立砂(たてすな)は、神山を象ったものです。
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