穴太寺(あなおじ)は、亀岡市の天台宗寺院で西国三十三番霊場(二十一番)です。
慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされます。
穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説があります。
『今昔物語集』所収の説話によると、
{昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男は、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師には褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた。
しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまった。
ところが、後で確認すると仏師は健在で、観音像の胸に矢が刺さっていた。改心した男は仏道を信じるようになったという。」
厨子王丸肌守御本尊について
安寿と厨子王丸の悲話の伝説に語られる厨子王丸肌守御本尊をおまつりしています。
2人が山椒太夫に捕らえられ、過酷な責めを受けた時、その苦しみを代わりに受けてくださった仏様といわれています。
安寿が厨子王丸を逃がし都へ上る途中、厨子王丸をかくまった寺の一つが穴太寺だったといわれ、のちに、厨子王丸はこの肌守御本尊を穴太寺に奉納し供養したと伝えられています。
(西国三十三所巡礼の旅より抜粋)
https://saikoku33.gr.jp/place/21
———————————————————————
<郷土に感謝 誇ろう日本!>
大垣市の旅行会社
有限会社 大幸ツアー
facebook
———————————————————————–