福知山城は天正7年(1579年)、明智光秀の縄張りと伝えられ慶長年間にいたり今世城郭として完成されました。
石垣は、 築城当初の面影を残すもので、野面積み、乱石積み、穴太積みなどと呼ばれる、自然石をそのまま用いた豪放なものです。
また、五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)も使われているのも特徴です。
石垣内部に石塔類が使われるなど、 安土城や二条城など織田信長にかかわるお城に共通する特徴を持っています。
直径2.5m、深さ50m (城郭内部の井戸としては日本有数の深さがあります)あり、地下の岩盤まで掘り下げており、今でも清らかな水をたたえています。
光秀は丹波支配にあたり、福知山の地に城を築き、城代として娘婿である明智秀満を入れました。
また、光秀は短い統治期間の中で、築城とあわせて地下銭の免除や治水事業を行うなど善政を行ったと伝えられます。
光秀はほどなく、「本能寺の変」を引き起こし(表の歴史)、「山崎合戦」の後、悲劇的な最期を迎えますが、福知山の民衆は光秀の事績を忘れることなく信奉し、「名君」として現在でも親しまれています。
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