グアム(英語: Guam)は、太平洋にあるマリアナ諸島南端の島です。
古代
グアム島に人類が住み着いたのは紀元前3000年~2000年頃で、東南アジア系民族チャモロ人がマレーシアやインドネシア、フィリピンから航海カヌーに乗って移住してきたことに始まると考えられています。
ラッテストーン(上の写真)と呼ばれる古代チャモロ文化の遺跡です。
<グアムは植民地の歴史でした。>
大航海時代の1521年にポルトガルの探検家マゼランがヨーロッパ人として初めてグアム島に到達したのが始まりです。
1668年にスペインのカトリック教会使節サン・ビトレスを中心としたイエズス会が布教活動のため訪れるようになりました。
しかし、宣教師が祖霊崇拝を始めとするチャモロ人の伝統的な習慣や文化を厳しく禁止したため、不満を持つチャモロ人も多く、その不満は1669年のスペイン・チャモロ戦争として現れました。
キリスト教に反抗的な村は全て焼き払われ、10万人いたとされるチャモロ人が5000人以下に激減しました。
そして、以降は目立った反抗はなくキリスト教文化が定着するようになったといわれています。
<その後、アメリカ支配へと変わります。>
1898年にアメリカとスペインの間で勃発した米西戦争にアメリカが勝利し、同年のパリ条約によりグアム島はフィリピン、プエルトリコとともにアメリカ合衆国に割譲され、植民地支配下におかれました。
アメリカはスペイン同様に現地の文化や風習を無視してグアムのアメリカ化を進めるなど、植民地支配を推し進めました。
<日本による統治>
1919年、第一次世界大戦の戦後処理を行うパリ講和会議で、日本は、ドイツ領だったミクロネシアと、北マリアナ諸島を統治することになりました。
日本統治になることで、ミクロネシア、北マリアナはみるみる発展していきました。
日本はこのパリ講和会議において、当時、世界の9割が欧米列強の植民地とされている中で、「人種差別撤廃」を提案しました。
この日本の提案は、植民地支配が横行する白人社会にとってとんでもないことでした。
その後、日本は人種差別のない民主主義社会の実現に向けて果敢に挑み始めたのです。
統治期間はわずか約2年7か月ですが日本がグアムで行ったことは何だったのか。
人気ブログねずさんのひとりごとでも紹介していますのでぜひご一読ください。
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