神武天皇陵は奈良県橿原市があります。

神武天皇はこの地方を礎に日本建国を宣言されました。

 

このころの日本はどのような国の姿だったのでしょうか、歴史授業では習いません。

 

人気ブログねずさんのひとりごとでは次のようにあります。

 

神武天皇は、日本中に不幸が相次いで、国内の人口が3分の1に極端に減少したとき、西日本一帯で稲作の指導をし、生き残った人々を救いました。
そして畿内に入ったとき、飢えに苦しむ人達とともに戦い、勝利するのですが、このときに、先の稲作指導によって、十分な備蓄米を持つ瀬戸内沿岸の人々から、畿内にお米を持ち込んでいます。

そして神武天皇は、日本国中の人々が、ひとつ屋根の下に暮らす家族のように、いざというときに互いに食料を融通しあえる国つくりを、国家建国の要諦とされたわけです。
そしてそのことによって、日本の人口は、またたく間に8倍の67万人に増加し、これが日本建国の基礎となりました。

・・・

 

日本において天下万民は、すべて天皇の「おほみたから」であり、その天皇に仕える政治家や閣僚、司法官等々は、すべてその「おほみたから」が、豊かに安心して安全に暮らすことができるようにしていくことが仕事と規程されてきたのです。

 

つまり、日本は他の国とはまったく違う建国への尊い志があります。

 

ぜひ「ねずさんのひとりごと」をご一読ください。

http://nezu3344.com/blog-entry-4324.html

 

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