竹林の小径は嵯峨野・嵐山を代表する風光明媚な景観の一つです。
近頃は休日ともなると写真のとおり、ちょっと度が過ぎるのでは思える人出です。
このあたりは、太秦を根拠としていた豪族の秦氏によって開発が進められ。平安遷都後には、風光明媚なため、天皇や大宮人たちの絶好の遊猟、行楽地でした。
嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営して居住し、その崩御後に外孫の恒寂入道親王(仁明天皇廃太子の恒貞親王)がこれを大覚寺として改め、882年(元慶6年)に嵯峨野は「禁野」(きんや・貴族が狩りを楽しむ場所で一般人は狩猟を禁止していた)とされ、以後貴族・文人などによる山荘・寺院建立が相次ぐ事になりました。
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