今年12月4日に中村哲医師が、いつものようにジャララバードの宿舎を出て作業現場に向かう途中何者かに銃撃され亡くなりました。

中村哲さんは、アフガニスタンでどんな活動をしてみえたのでしょうか。

アフガニスタンの実情はどのようだったのでしょうか。

 

 

アフガンといえば、内戦の絶えない、きな臭い危険な国のイメージです。

ところがそれは近年のことで、かつてのアフガンは各地域の少数民族が自給自足で自立化しており、近代国家とは程遠い、少数民族の集合体のような原始的な国家でした。

現在は上の地図でも歴然ですが、全土が茶色の砂漠なのです。
アフガンに何があったのでしょうか。

以下、中村哲さんの講演からの抜粋です。

それは戦乱から始まります。
まず、イギリスとの3回に及ぶ開戦があり、続いてソ連の侵攻がありました。
ソ連の侵攻では200万人の殺されました。
さらに600万人が難民になりました。

ソ連軍が撤退した後もゲリラによる内戦が続いていたところ、1996タリバン政権が出来、
ゲリラを鎮圧し治安がよくなりました。

平和が戻ると思いきや2000年には世紀の大干ばつが起きます。
人口2400万人は半数である1200万人が飢餓状態に陥ります。

緑に覆われた何万もの人々が住んでいた村が、たった半年で砂漠化して次々と消えて行くのです。

更にアフガンに不幸が襲い掛かります。
2001年9月11日起きた同時多発テロによるアフガンへの報復空爆です。
中村さんや現地の人々は、ブッシュ大統領の発言にびっくりしたそうです。
「この状態で爆撃するのか」
「この状態の中で本当にテロリストなどいるのだろうか」

アラブ人のアルカイダをアフガン国内で匿っているという理由です。
ところが一般的にアフガン人は親アラブではありません。

今のアフガン人に必要なのは、パンと水であるのにもかかわらず、

容赦なく一般市民に対し無差別爆撃が行われました。

タリバン政権があっさり倒れてしまいます。

極悪非道のタリバンを打ち破ったと世界では報道されます。

その後、アフガンは芥子畑と化し、麻薬生産が盛んになったそうです。

・・・

中村哲医師は、30年以上の長きにわたりアフガンでめざしているものは、一時的な食料支給や資金援助、近代的インフラ整備ではなく、

大洪水や大干ばつにも対応できる用水路をアフガン人自らが建設・整備保全できるようになることです。
そのためにお手本となる地域が出来れば、あとは全土に広がっていくだろう。

そして、60万人もの人々が食べてゆけるアフガンで最も平和で豊かな地域がお手本として完成しました。
アフガン人の望むことは、一日3食食べれることと家族仲良く暮らせることそれだけです。
アフガン人の多くは保守的で敬虔なイスラム教徒です。

実際の講演内容は下記のリンクでご覧いただけます。

近年、テレビの報道番組やニュースから感じ取ったアフガンのイメージとはまったく違う実情が語られています。

 

 

 

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