石上神宮には神武東征において、高倉下を通じて授かった横刀の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ・武甕雷神(たけみかずちのかみ)が所有していた神剣)がご神体として奉納されています。
日本は神話だけでなく、神話を立証する地形、自然、文化風習、現物が残っているので、実話としての信憑性の高いわけです。
ただ、神話の解釈には専門家によって説が分かれてしまいます。
人気ブログ「ねずさんのひとりごと」では、時代背景からくる理由までわかりやすく説明があるので、真実に近いと思えてきます。
神武東征では、大和の地にたどり着くまでの道中で、神武一行がその地に数年間滞在して稲作を指導し根づかせたことが、後の熊野上陸してからの食糧不足の援助をうけることになることや、八咫烏は三本足の烏ではなく、カラスのように真っ黒な肌を持つ集団であることなど、ある程度の根拠のあるお話として想像できます。
ぜひご一読ください。
http://nezu3344.com/blog-entry-4379.html#more
(以下、以前の記事です)
石上神宮(いそのかみじんぐう・天理市)へ立ち寄りました。
天理の東方、布留山(ふるやま)の原生林の中にあります。
布留山は、三輪山と春日山を結ぶ大和の古代道の一つ「山の辺の道」のほぼ中間にあります。
神武天皇の東征で上陸した熊野において、一行は賊の毒気にあたって全軍が壊滅寸前の状態に陥ります。
その時に高天原から降ろされた横刀(たち)が高倉下(たかくらじ)によって、神武天皇に捧げられました。
その横刀は不思議な力、起死回生の力を発揮。神武天皇一行は蘇り、賊も退散しました。
その横刀を布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ・武甕雷神(たけみかずちのかみ)が所有していた神剣)と言い、石上神宮のご神体になっています。また、石上神宮は、初期の大和朝廷を支えてきた物部氏の総氏神でもあります。
天然林に囲まれた参道
国宝の拝殿
ご神体は、拝殿奥の本殿に祀られていて、禁足地になっています。
楼門
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