談山神社は藤原鎌足を祭神とする神社で、645年の5月、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足公)が、多武峰に登り「大化改新」の談合を行ったことから、後にこの山を談山、談所ヶ森と呼び神社社号の起こりです。
日本の歴史は、何度も国体を揺るがしかねない危機に遭うたびに英雄が現れ、神意がその英雄たちを後押しするかように奇跡を生み、その結果、国体を取り戻されること繰り返しです。
乙巳の変から始まる大化の改新に至るまで、蘇我氏によるウシハク政治も天皇によるシラス国の形を脅かすものでした。
日本人の気質は現代と同様、古代から渡来人がもたらす文化に寛容な姿勢なのだと思います。
仏教もキリスト教も儒教も道教も日本人は先ずはその良さを学び熟知すると、日本人に合うように作り変える力に長けているのだと思います。
大化の改新も蘇我氏という渡来人による国体を揺るがすような行き過ぎた利権構造から国を建てなおす神意の力が働いたのだと思えます。
人気ブログ「ねずさんのひとりごと」では、時代背景からわかりやすく説明されてます。
http://nezu3344.com/blog-entry-2332.html
(以下は、過去の記事です)
奈良県多武峰(とうのみね)にある談山神社(だんざんじんじゃ)へ行きました。
中大兄皇子と中臣鎌足が「大化の改新」のため、談(かたら)いをした山という由来からこの名がつきました。
鎌足の死後、長男で僧の定恵(じょうえ・・・不比等の兄)が唐からの帰国後に、父の墓を大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのがこの神社のはじまりです。
日本の歴史を大きく変えることになったこの地での「二人の談い」は、どんなものだったのでしょうか?
中臣鎌足の遠祖とされる天児屋命(あめのこやねのみこと)は、天照大神が岩戸に隠れた際、神々を集め相談し大神を岩戸から出すべく画策をし、祝詞を読んだ神です。
その子孫とされる鎌足は、日本の行く末を案じ、一大クーデターを画策したのかもしれません。
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