長崎出島建設は日本が欧州交易をここ一本にするための江戸幕府直轄の交易機関です。
幕府が鎖国政策を執らざるを得なかった理由は、宣教師によるカトリックの布教活動が宗教的内乱の原因になっているからでした。
カトリックの教えの特徴には、「原罪」を強調することにあります。
人間はすべて罪を背負って受胎する罪深き存在であことや信仰の絶対性を信じこまされます。
天子の信託を得た将軍の命より神の信託を受けた宣教師の教えを重きとすることで国家分裂の因子になりました。
日本は、天子(天皇)が国民をおほみたからとし、最高権威でありながら権力を持たず、権力を将軍に信託することで統治するという究極の民主主義国家としての国の形を維持しています。
しかし、大航海時代のカトリック布教は、列強の植民地化の手段となっていたのです。
国の害になるモノを排除するための鎖国政策でしたが、鎖国はどの国もできるわけではありません。
外国との交流を制限しても、防衛力(軍事力)がなければ、国は乗っ取られます。
また、ある程度の国内で食糧物品は自給できなければ国民は疲弊します。
国内では入手不能な必要ものを外国から購入できる財力を必要です。
諸外国の動向を知るための諜報活動も必要です。
この鎖国が出来たのが当時の家光政権でした。
このあたりの時代背景を、CGS ねずさん 日本の歴史 7-7では、わかりやすく動画配信しています。
日本が鎖国できたわけ 【CGS ねずさん 日本の歴史 7-7】
さて、この動画は2016年10月配信のモノです。
まだ、この時の日本は労働移民はまだありませんでした。
今は2020年4月、世界は大変なことになっています。
誰が今を想像したでしょうか。
信長・秀吉・家康の時代には1636年から1639年まで対ポルトガル貿易、1641年から1859年までオランダ東インド会社を通して対オランダ貿易が。