渡邉哲也showという動画に高須クリニック院長・高須克弥先生が登場されました。
ご出演の目的は、前回の愛知トリエンナーレで、昭和天皇の写真をガスバーナーで燃やし、足で踏みつける映像や、神風特攻隊を愚弄するような作品が出展しているにもかかわらず、愛知県大村知事は主催者として税金を使かわれることを許し、反省の弁もなかったことに対し、リコール運動を目指すも、地元メジャーの中日新聞などに圧力がかかっているので、何とか、この事実を全国に広めるというものでした。
高須先生は、高齢であり、癌の宣告も受けられており、与えられたわずかな余命を使い、県の非愛国的行為を絶対に許してはいけないし、県民だけの問題でなく、国民の問題としてひとり一人に考えてほしいという願いから、私欲ではない最後の命をかけた活動をされてみえるわけです。
本当にすごいことだと思います。
この動画で先生は、日本人が持つ、右とか左とかの政治の意味が特殊だということを言ってみえます。
日本の場合は本当にわかりにくくなっています。
その原因は、日本の終戦後にのさばることになった敗戦利得者の存在です。
日本が二度とアメリカに歯向かわないようにと、大戦までの日本的精神性をことごとく否定しようとしました。
GHQは、愛国的思想を持ったものを公的機関の職から追い出し、そのかわり、反日思想やリベラル思想を持った者にその職を与えました。
その後遺症が今でも各界に残っているようです。
ですから、日本の場合、大戦前までの思想こそが日本精神に近いものなのです。
その区別がつかない無関心な国民は、「護憲派」「平和憲法」という言葉をあまり理解せず、戦後にGHQから押し付けられた憲法を変えたら、戦争になるなんて勘違いをするわけです。
日本が戦争に向かったのは、政府の中枢部に共産思想・リベラル思想を持ったものがいて、彼らがアメリカ内部の共産思想の者と一緒に暗躍したことが原因です。
ですから、日本の左派である政党は、戦争反対とか護憲とか弱者の味方とか、男女平等とか、人権とか、もっともらしいことを言っていますが、やってきたことはその逆なわけです。
なぜ、彼ら左派思想の人たちが、平和とか人権とか平等とか戦争否定を声高に言うのか、また、ややこしいことに隣国批判(ヘイトスピーチ)を声高に言うのか。
最終目標は、日本の国家分断です。
世界の多くの国が分断を繰り返してきました。
今でも、リビアとかシリアとかイエメンなど世界のあちこちで内戦が続いています。
内戦まで持っていくには、どうしたらよいでしょうか。
それを企む視点を持てば、想像できます。
日本の中で、マイノリティを集めることから始まります。
日本の場合のマイノリティは半島系の外国人永住者などです。
最近は中国人も多く永住しているようです。
更に仲間集めもしながら、例えば、アイヌ、琉球に民族意識を持たせます。
さらに差別されているという宣伝をして、女性やLGBTを巻き込みます。
日本に住んでいる、いろんなマイノリティを寄せ集めて、デモや運動や宣伝で声を上げるのです。
その運動資金を提供しているのは、中共スパイであったり、軍産複合体関係グループの傀儡です。
このような裏を知って知らずか、乗せられ担ぎ出されてる有名人も多くいます。
いわゆるDUPESという人たちです。
彼らの多くは、その美しく最もな言葉の羅列に騙されてしまいます。
戦争はしてはならないと声高に言っている政治家ほど結果的に戦争に進んでしまいます。
日本の場合は、自衛隊は違憲だとか、自衛隊の予算をもっと減らすべきとか、迎撃ミサイル配備反対とか、平和憲法を守れ、改憲反対とか
言っている人たちが、結果的に混乱を作ります。
隣国へのヘイトスピーチをする人たちが実は、日本人ではありません。
これらのカラクリに多くの日本人が気づき始めています。
実にわかりにくい社会になっていますが、私たち国民はどうすれば良いのでしょうか。
選挙では誰を選べばよいのでしょうか。
そこで、一番の判断基準は、高須先生の言われるように、右とか左ではなく、愛国者と否かだと思います。
左でも愛国者はいます。右でも無意識に反日に加担しているDUPESはいます。
日本の場合は、単なる愛国者ではいけません。
なぜなら、日本は他国とは違う国の魂が息づいている国だからです。
日本に息づく国の魂とは、日本の精神そのものです。
日本の精神を探求する愛国者でなければなりません。
地中海を望むリビアの首都 トリポリ ウィキペディアより
トリポリは地中海に臨むサハラ砂漠の端に位置する。
アラブの春という革命連鎖で、ガダフィ政権崩壊後、内戦勃発、リビア国内はトリポリを拠点とするイスラム勢力系の新国民議会とトブルクを拠点とする世俗派のリビア国民代議院による二つの政府に分断されてしまった。