今日は日本国の誕生日、建国記念日です。
どうして2月11日が建国記念日かというと、初代天皇である神武天皇の即位された日が、旧暦の紀元前660年1月1日であり、明治に入り新暦になると2月11日であったからです。
この即位に先立って発せられたのが、神武天皇の建国の詔(みことのり)です。
日本書紀に以下のように記述があります。
<原文>
三月辛酉朔丁卯、下令曰
「自我東征、於茲六年矣。
頼以皇天之威、凶徒就戮。
雖邊土未清余妖尚梗、
而中洲之地無復風塵。
誠宜恢廓皇都、規摹大壮。
而今運屬屯蒙、民心朴素、巣棲穴住、習俗惟常。
夫大人立制、義必隨時、
苟有利民、何妨聖造。
且當披拂山林、經營宮室、而恭臨宝位、以鎭元元。
上則答乾霊授国之徳、
下則弘皇孫養正之心。
然後、兼六合以開都、
掩八紘而為宇、不亦可乎。
観夫畝傍山、東南橿原地者、
蓋国之墺区乎、可治之。」
<小名木善幸氏による現代語訳>
3月7日、神武天皇は次のように述べられました。
「我が東征より6年を経た。
天つ神の霊威によって凶徒は滅んだ。
辺土はいまだ騒々しいが、
中洲国に風塵はない。
そこで壮大な皇都と皇居を建てよう。
いま国は出来たばかりで若く、
民心は素朴で穴に住む習俗もいまだ残っている。
それ大人の制を立て義を必ず行い、
いみじくも民に利があるとき、聖造に何のさまたげがあろうか。
山林をひらき、宮殿を築き、宝位に就いて、元々を鎮めよう。
上は乾霊が授けてくれたこの国の徳に答え、
下には皇孫の正しい心を養おう。
しかる後に六合を兼ねて都を開き、
八紘を掩(おほ)いて一宇となすは、また良からずや。
畝傍山の東南に観(み)る橿原の地は
国の真ん中にあたるや。ここで治めるべし」
人気ブログ「ねずさんの学ぼう日本」では、日本の建国には、この神武天皇による日本建国を含め、3つの大きな段階があったと日本書紀に書かれているそうです。
その3つとは、
1 初めが瓊々杵尊(ににぎのみこと)の「天孫降臨」です。
2 次が神武天皇による日本建国で、これを「始馭(はつくにしらす)《しぎょ》」と言います。
3 三段階目が第十代崇神天皇による「肇国(はつくにしらす)《ちょうこく》」です。
特に3つ目の段階である崇神天皇の御代は、疫病が流行しており、3分の2が亡くなるという事態になりました。
そこで行こなわれたのが、神社における手水舎(ちょうずしゃ)の設置でした。
これにより日本では、疫病による被害が大幅に改善されたという経緯があります。
私たち国民は、今日の建国記念日を祝うことの中で、日本国の2千年以上という歴史からくる伝統を見直す良い機会になればと思います。
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