嘉永7年(1854年)横浜への黒船来航 ペリーに随行した画家ヴィルヘルム・ハイネによるリトグラフ
ウィキペディアより
先日、テレビを視ていましたら、クオータ制の検証番組がやっておりました。
クオータ制とは、政治・行政や企業といった社会的組織・団体において、特定の属性を持つ者に一定比率を割り当てる制度のことで、日本でも女性の理事の割合を4割にしようという一部団体の動きが出てきています。
それでもまだまだ、企業や国会議員などでは圧倒的な男社会になっており、「日本は遅れている」と出演者の一人がコメントしていました。
女性の割合を増やすことで、女性ならではの視点により、価値観の多様性が生まれるという利点があります。
それ自体は何の否定もありませんが、違和感を感じるのは「日本は他国に比べ遅れている」というイメージを番組は持たせていることです。
この手のイメージ番組が最近、多くなった気がします。
男女平等、価値観の多様性を日本も見習うべきだというイメージづくりの構成になっています。
それが何が問題なのかと申しますと、日本の伝統文化歴史的価値にスポットを当てず、いわゆるグローバル的な価値観を重要視するという不平等があるからです。
私たちは日本人が日本の伝統文化歴史的価値観を充分に知っていて、グローバル的価値観の良いところを取り入れるのなら「とても良いことです。」
ところが、現代に生きる日本人は日本の伝統文化歴史的価値観を充分に習っていません。
教育に中で、あるいはメディアの発信する媒体の中で、あまりにもスルーされています。
そのような現代人にグローバル的価値観を盛んにマインドコントロールされたらどうなるのか?
それが不平等なのです。
男女平等を掲げる前にこちらの不平等はどうするのかということです。
男女の特性が違うのに男女が同じ仕事をしたら、それこそ男女不平等になる。
それは公平な社会ではないという思いやりの文化が日本にあります。
それに比べ欧米では女性は男性の所有物という文化が近代まであった。
だから、女性に男性と同様の権利を与えるべきだという運動がおこった。
だから西洋では声高に男女平等が言われています。
どちらが進んだ文化なのでしょうか?
番組ではそのような歴史的文化的視点は無視して、都合の良い表面的なことだけをピックアップしているのです。
平等とは物的な表面的な均衡のことです。
それに比べ、日本が重要視したのは公平です。
公平には平等の概念に思いやりが加わります。
どちらが進んだ文化なのかを考えてみましょう。
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日本は欧米最古のデンマークよりも倍以上の歴史を持っています。
長く続くことがどれだけ価値があることなのかを日本人は再認識すべきです。
ねずさんの学ぼう日本