アドルフ・ヒトラーの名言に「大衆は、小さな嘘よりも大きな嘘の犠牲になりやすいだろう」というものがあります。
ヒトラーは演説やメディアを巧みに使って民衆の心を掴み政権を奪取しました。
ヒトラーを例に挙げるのは適切ではないですが、今、世界で起きているコロナ騒動やワクチン狂騒曲は「性質的によく似ている」ように感じてしまいます。
テレビの「コロナ騒動」と「ワクチン狂騒曲」を異常だと思えない人が日本でも世界でも大部分をしめていて、私のように「異常だと思わないのか!」と口にしたら、反論が返り、喧嘩にはならないまでも、聞く耳を持とうとせず会話が長く続かないケースが多いです。
そういう人たちの特徴は、テレビや新聞などの情報には疑いを持たない人が多いです。
テレビや新聞などの情報になぜ疑いを持った方が良いのかと申しますと、1の大きな嘘を付くために100の正しくて共感の持てること、好感度の高い発信 をしているからです。
一つの大きな嘘は当然に確信犯です。
今回の場合はコロナへの恐怖を煽ってワクチンを推奨する。
ワクチンへの問題点が出てきても平等に報道しない。
この一つの大きな嘘をつくためにメディアは寡占的な業界になっています。
100もの好感度の高い発信をしているテレビですから、民衆は「テレビだからウソなどつくはずがないだろ!」と思うのは当然のことです。
しかし、あの大きな噓は何年も経てば必ずバレることになります。
従軍慰安婦や南京大虐殺という大ウソがばれたのもその一例です。
さて、今回のコロナ騒動やワクチン狂騒曲の10年後の評価はどのようなものになるのでしょうか?
2020アメリカ大統領選の評価もどのようなものになるのでしょうか?
シンコロ感染症はほとんどの国民が罹っていないのです。
その率はなんと99.6%。
(しかも、無症状でも陽性数として自治体はカウントし発表し、それをメディアは「〇〇人の感染者を確認したと発表されました」と報道するメチャクチャな演出です)
このような大人しい感染症に対して、負の情報(抗体依存症感染増強のおそれなど)を充分に伝えずに安全性も十分にわかっていないワクチンの接種を大宣伝していたことを10年後20年後の民衆はどのようなに審判するのでしょうか?
仮に大嘘ではないと言えるのなら、この偏向報道をどう説明するのでしょうか?
プロパガンダを巧みに利用したヒトラーのこのメイ言が今の異常社会をうまく比喩しています。
「大衆は、小さな嘘よりも大きな嘘の犠牲になりやすいだろう」
私たち大衆も「大きな噓」には気をつけましょう。
・・・本記事の目的・・・
ワクチン接種直後(初期)の副反応はインフルエンザに比べて各段と多いことが日に日に顕著になってきました。更に中長期的なリスク(抗体依存性免疫増強:ADEなど)をとなえる専門家がかなり多くみええることもわかってきました。専門家とは感染学者や医師のみなさんであり、彼らの見解は公的機関のデータや研究発表を基にしております。「科学的な根拠」があり、いわゆる「デマ」とは違います。また、私感ですが彼らには人としての正義心や誠意を感じます。ところが報道を視てましても彼らの見解は何故かほとんど取り上げられず、完全に無視されているのが実態です。本来であれば、生命や健康に関わる重要案件である故に国民の知る権利が阻害されてはなりません。接種を自己判断するためには、生命健康へのベネフィットと同時に考えられるリスクも国民には知る権利があります。このような情報が偏っている状況下のままでは、あってはならないことですが、「知らなかった。なぜ政府は隠していたのか」と後悔や怒りを持つ国民が増えてしまうのではないかと懸念しています。納得の上で自己判断してもらうことが最低限の政府の責任ではないでしょうか。私は記事にたどり着かれた方に対し、以上のような観点からの有用な情報を微力ではありますが提供をすることを本記事を書くにあたっての目的としてきました。国民は薬害では苦しんできた経緯があります。薬害の可能性が否定できない現段階においては、より慎重であってよいはずです。以上、ご理解のほどよろしくお願いいたします。