2022年5月10日、フランスのラジオ番組で、ウクライナ側の人道支援に行った元フランス兵の証言です。

 

(感想)

ブチャなどキエフ近郊での路上に放置された遺体は、ロシア軍が去った後に撮影のために遺体を置いたということが証言ででわかってきました。

また、アゾフは民間の施設に砲撃し、アメリカの記者たちがロシア軍が砲撃したと騒いていたこと。

ヨーロッパから提供された武器は、民間住居に置かれており、人間を盾にしていたということが証言でわかってきました。

 

いくらウソの報道をしても、後からこのような証言で事実がわかってくるのですね。

フランスではラジオで流れたということですが、日本はラジオもむつかしいようです。

真実に気づいた報道関係の人は、勇気を出して真実を流してほしいものです。

でもクビになってしまってはいけません。

何か有効な方法はないかな。

 


 

 

ブチャの東側、爆撃が小さな公園の施設に命中した。

アメリカ人たちはその映像を撮っていた。

そして「ロシア軍の爆撃だ公園に落ちた!それは受け入れられない」などと言う。

私は彼らに近づいて「なぜそんなことを言うんですか?」と聞いた。

どうしてあそこが爆撃されたかわかりますか?

私が一緒にいたアゾフの部隊は、この小さな砲弾を発射する迫撃砲を手で微調整していました。

そして、その微調整がうまくできなかったのです。

その砲弾が100メートル離れたロシア軍の場所ではなく、この小さな公園に落ちたのです。

落ちてくる爆弾や砲弾についてすべてロシア軍だ!と言ってしまう。

そんなことを言うのはやめてください。

少し考えてください。

私はすぐにその場所へ行きミサイル5発のうち4発が武器庫に命中するのをみました。

ヨーロッパから運ばれてきた武器がリヴィウに保管されていたのです。

民間の建物や一般市民の住宅です。

説明してもらえますか?なぜ武器がヨーロッパから来た武器に加えて民間人の隣に保管されているのでしょうか?

これを何と呼ぶかわかりますか?

民間人を人間の盾にしているのです。

ブチャについて教えてください。

私たちはあらゆるブチャの写真をみました。

しかしいくつかの遺体がありました。

ウルズラ・フォン・デア・ライエンも行きました。

皆がロシア軍による大虐殺を見に行きました。

あれはショーだと思いますか?

あれはショーでした。つまり・・・

しかし、これは本当ですか?

放置された遺体がありましたが、

本当です。

しかし、遺体は、故意に放置されていました。

写真撮影のために動かされた遺体もありました。

私は遺体が偽物であると言っているのではありません。

それは本物の遺体でした。

 

 

国連人権監視団の報告は正常に機能していてよかった。

 

 

 

 

 

 


(社会的な記事を書く主旨)

私は親ロシアでも親ウクライナでもありません。しいて言うならば親庶民です。今回の紛争の本質は国対国ではありません。本当の敵は戦争を仕組んだ連中です。国対国に何らかの決着が着いたら、戦後、そこから生じる利権をとるのが戦争を仕組む連中の目的です。その構図を知ることで物事の本質に近づくことができます。実は戦争を仕組む連中と新型コロナワクチンを進める連中は同じです。先のアメリカ大領領選挙の大々的な不正を仕組んだのも同じ連中です。連中とは世界支配を目論むグローバリストのことです。陰謀論ではなく世界は陰謀という筋書きが元となって動いています。そういう視点があることを知った上で報道をみると、冷静になり心を痛めたり惑わされることが少なくなりますし、事の本質を見抜く視点も身に付きます。これをあるお方は「精神武装」と呼んでいます。私は旅行業が本職ですから、旅的な表現で言い直しますと「旅先(人生という旅)で見る景色や史跡(遭遇する事件や社会現象)をいろんな視点で想像してみる(報道を鵜呑みにせず視点を変えて物事の本質を探ってみる)ことが出来るようになるとより旅(人生と言う旅)は楽しいものになります。」ということになります。また。私はこのような基本理念を旅行に反映できないものかと考えております。具体的には、草花を愛でるのなら、草花の気持ちになってみるとか、食べることを楽しむのなら動植物の気持ちになってみる。歴史を知るのなら当時の時代背景を想像し、当時の人たちの気持ちになってみる。更には私たちが遭遇する事件や社会現象も原因を作っている側の気持ちになってみるということで旅も人生の旅もより楽しくなると考えます。せっかく今の時代に生かされているのですから、報道(一面)に翻弄されるのではなく、視点を多く持つことで今の時代を楽しむ視点を持ちましょうというのが私の考え方の基本です。よく旅先では歴史的な場所を見学することがあります。それは視点を変えれば、私たちの生きる現在も未来には歴史となってゆきます。今という時代を深く知るということは今に生きている私たちしか体験の出来ない貴重な人生の旅の要素だとも言えます。このような考え方により本ブログを書いておりますので、一見、旅行業とは関係のないような社会的な題材も取り扱っておりますことを何卒ご理解ください。


 

 

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